ホーム > 資料に見る和菓子 第五回 No.201
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夏の風物詩、団扇。江戸時代には涼を取るための必需品で、菓子袋(199号参照)同様、北斎や広重をはじめとする有名絵師の手によるものも作られました。錦絵を扱う店で売られることもありましたが、「団扇売」が夏の季語にもなっているように、大量の団扇を担いで売り歩く行商人の姿が江戸の町でよく見られました。団扇は消耗品のため、現物としてはほとんど残っていないものの、貼る前の絵は見ることができます。
「名酒揃」の「しら玉」に描かれるのは、大きな染付けの鉢に泳ぐ白玉団子。紅をさした白玉は今では珍しいと思いますが、幕末から明治時代頃まで、よく作られたものでした。杓子で白玉をすくい上げる女性の嬉しそうな表情に、こちらの頬も緩みます。鉢にたっぷり張られた砂糖水や器の色、肩にかけた手拭いなど、見るからに涼しげで、夏にぴったりです。背景を変えた絵も残っているので、人気の団扇だったのかもしれません。
酒が主題にもかかわらず、あえて甘味を持ち出すところが国芳らしい洒落っ気でしょう。同シリーズの「剣菱」にも、菱餅と有平糖(飴細工)が描かれています。
上の「六菓煎」は、六歌仙と菓子の煎餅をかけたシリーズ名で、「芝口の唐まつ」は、江戸芝口(現新橋)にあった蟹屋という菓子屋の名物、唐松煎餅をさしたものです。絵が残っており、現在の麩焼煎餅、あるいは瓦煎餅のように、型を使って焼き上げるものだったことがうかがえます。当時煎餅といえばこうした甘いものが主流で、塩煎餅ではありませんでした。
六菓煎の団扇絵は、ほかに「遠月堂の辻うら」「猿若の姿見」「船ばしやの窓ノ月」の三枚を確認しています。「辻うら」は煎餅に占いの紙を挟んだ遠月堂の名物、猿若町(現浅草)の「姿見」は役者の似顔絵が入った手鏡形の煎餅と思われます。「窓ノ月」は四角い最中なので「煎餅」に含むのは不思議な気がしますが、この頃は最中の生地も麩焼煎餅と同様に捉えられていたのでしょう。残る二枚の候補としては、竹村伊勢の巻煎餅(196号)や、歌舞伎の助六に出てくる朝顔煎餅・羽衣煎餅などがあげられそうです。
こうした団扇は宣伝のために作られたものと考えられますが、もっと直接的なのが神田の桔梗屋甘司の団扇。店の成り立ちのほか、名高い菓子屋も自分の店が卸売りした干菓子を使っていることなどが長々と説明されています。現在のOEM(相手先ブランド名による生産)にあたるでしょうか。商売の形を伝える史料として興味深いものですが、使う側からすれば、文字だけよりも、綺麗な絵のついたものの方が嬉しかったかもしれませんね。
今村規子(虎屋文庫 研究主幹)
*参考図書:『蒐める楽しみ 吉田コレクションに見る和菓子の世界』虎屋、2012年
昭和48年(1973)に創設された、株式会社虎屋の資料室。
虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、展示の開催や機関誌『和菓子』の発行を通して、和菓子情報を発信しています(現在、展示会は休止中)。資料の閲覧機能はありませんが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしています。HPで歴史上の人物と和菓子のコラムを連載中。
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