ホーム > 資料に見る和菓子 第十回 No.206
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ボンボニエール(Bonbonnière)とは、フランス語でボンボン(砂糖菓子)入れのことです。日本の皇室・宮家では、明治時代以降、主に銀製のボンボニエールが引き出物として用いられてきました。
今年は五月に今上陛下がご即位され、関連展示が各所で開催されているため、実物をご覧になった方もいらっしゃることでしょう。今回は、この宮中のボンボニエールを取り上げたいと思います。
ヨーロッパでは、お祝いの際に菓子を配ったり、人生の節目に銀製品を贈ったりする風習があり、日本の皇室もそれにならったものともいわれます。明治二十二年(一八八九)の大日本帝国憲法発布式後の饗宴で下賜されたのが最初といわれ、以降、ご誕生、ご成婚、ご即位ほか慶事の際や、貴賓を招いての宴会の折に使用されてきました。
木製、竹製、陶磁器製などもありますが、多くは銀製で、丸い容器に皇室・宮家の御紋やお印(皇族が身の回り品に用いる、個人を表す目印)が入ったシンプルなものから、一見、菓子器とわからないような凝った形のもの(図1)まで、様々です。特に後者は日本ならではといえ、施された技術の高さや意匠の美しさは美術品の域といえます。鶴亀や鳳凰、宝船、小槌(図2)といった吉祥のモチーフが多いですが、会の趣旨にあわせ、ご誕生の内宴には、お宮参りで身に着けるでんでん太鼓(図4)、外遊からのご帰朝記念には地球儀形(図5)など、遊び心も感じられます。贈られた側は、後年その意匠を見て、いただいた当時の思い出に浸ったことでしょう。図2のように海外の貴賓に贈る場合には、日本の文化と技術をアピールする役割も担ったことと思います。
中に詰めるのは、小さく日保ちする干菓子で、金平糖が多く使われます。金平糖は、室町時代末〜江戸時代初期、ポルトガルから伝えられました。伝来当初は、貴重な砂糖を大量に使った舶来品とあって、大変高級でした。江戸時代後期には国内でも製造が盛んになり、地域差はあるものの、一般にも食べられるようになります。
ボンボニエールが伝わった明治初め頃の金平糖について、「鉄道唱歌」の作詞で知られる大和田建樹が、自身の十一、二歳頃の思い出を綴っています。故郷の宇和島(現愛媛県)には上菓子(白砂糖を使った上等な菓子)も、金平糖を作る店もないため、数粒でももらえると嬉しく、「風月堂の西洋菓子」にも勝ると感じたとか(『したわらび紀行漫筆』)。今でこそ身近に楽しめますが、当時の田舎では、たまにしか食べられず、子供の憧れだったことがわかります。
ちなみに、金平糖の大量生産を可能にした回転釜の特許が取られたのは明治三十六年(一九〇三)のこと。それ以前はすべて手作業で、製造には今以上に時間と手間がかかっていました。それだけに、皇室の贈り物にふさわしい特別感もあったのかもしれません。ボンボニエールに納まった金平糖は、どこか宝石をイメージさせるようでもあり、取り合わせの妙が感じられます。
参考文献:
長佐古美奈子「日本のボンボニエール十選(一)」(日本経済新聞二〇一九年四月三十日)、
同『ボンボニエールと近代皇室文化』(えにし書房、二〇一五年)
河上可央理(虎屋文庫 研究主事)
昭和48年(1973)に創設された、株式会社虎屋の資料室。虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、機関誌『和菓子』の発行や展示の開催を通して、和菓子情報を発信しています。資料の閲覧機能はありませんが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしています。HPで歴史上の人物と和菓子のコラムを連載中。
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