菓子街道を歩く

ホーム > 赤坂見附 No.214

たゆまず5世紀、菓子作り

四ツ谷駅近くから赤坂見附方面を見た風景。間に邪魔をする建物がなく、都心でありながら空が広い。


都心の広い空の下

 その昔、江戸城には外濠・内濠に沿って36の見附があったという。見附とは見張を置いた城門のことで、地下鉄の駅名で広く知られる赤坂見附も、その一つ。立派な城門は明治時代に取り壊され、今は赤坂見附交差点北側の弁慶橋近くに石垣の一部を残すのみだが、一帯には他にも多くの歴史の痕跡が見られる。
 例えば、ホテルニューオータニは彦根藩井伊家の中屋敷跡に建てられたもので、外濠に囲まれた日本庭園に往時の面影を宿す。また、上智大学のキャンパスは尾張徳川家の中屋敷、赤坂御用地も紀州徳川家の上屋敷があった場所だ。
 都心にあって緑が多く、空が開けたこの街に、とらやの赤坂店がある。
 建物は2018年秋に改築された全面ガラス張りの4層。店内には吉野のヒノキが潤沢に使われ、2階が売り場、3階が菓寮。地階のギャラリーでは和菓子をテーマにした企画展が随時開かれている。ここに、とらや18代目、黒川光晴さんを訪ねた。


とらや18代

──室町後期の創業、東京に出店されてからでも150年。日本を代表する老舗ですね。
黒川「5世紀にわたり、和菓子屋を営んでいます。古くから御所の御用を勤めていて、東京遷都に伴って明治2年、当時の12代目が京都の店はそのままに東京に進出しました。
 それ以降、黒川家は東京に居を構えていますので、私も赤坂生まれ赤坂育ちです。高校1年の時に留学して7年間はアメリカで生活しましたが、大学卒業とともに帰国して、とらやに入社しました」
──就職先は迷われずに?
「とらやの社長になるのが子どもの頃からの夢だったので、迷いはありませんでした。とらやの菓子をおいしいと思って毎日食べていましたし、夏休みは工場でアルバイト。とらやを継ぎたいという気持ちが自然に育っていました。
 入社して数年は、東京工場。それから御殿場工場や京都店。パリ店の厨房も経験しました。もちろん製造以外の部署もまわって、いろいろな人に教わり、父のやり方も間近で見てきました。社長就任は2020年の6月です」
──コロナ禍が始まってすぐですね。会長のアドバイスもたくさんあったのでしょうか。「社長交代以降もアドバイスはしてくれていますが、『こうしたほうがいい』などと口出しすることは一切ありません。好きなように思う存分やれ、と後押ししてくれているのかなと感じています」




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とらやを代表する商品、
小倉羊羹「夜の梅」。
「とらや」社長、黒川光晴さん。
  1985年、東京生まれ。

羊羹と生菓子

 ──ところで、とらやと言えば羊羹と生菓子です。どなたに差し上げても喜ばれます。
「ありがとうございます。現在、羊羹は売上の約7割を占めていますが、元禄8年(1695)に綴られた菓子見本帳にも羊羹や棹菓子の意匠が多く残されていて、人気ぶりが伺えます。
 また、江戸から大正時代に作成された菓子見本帳に数百も描かれている菓子の意匠は圧巻です。その菓子の一つに『雪餅』という真っ白なきんとんがあるのですが、おいしく召し上がっていただけるのが数時間という、まるで本物の雪のようにはかない菓子なのです。そうした繊細な情感も含めて、昔の人と私たちが菓子や文化を共有できる。すごいことだと思います」
──和菓子の持つ力ですね。
「はい。ですから伝統の菓子は、その時々の当主の好みで変えてはいけないと思っています。羊羹の『夜の梅』なども、そうです。長く作り続けられている菓子は私たちのものであると同時に、お客様の菓子でもありますから」


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アイデアが生まれる会社

──一方で、最先端のお菓子も次々と。ピエール・エルメ・パリとのコラボでは、餡にフランボワーズやバラ、ライチなどを合わせた羊羹や生菓子も話題になりました。
「和菓子は中国やポルトガルの影響を受けて完成し発展してきましたが、技術が発達した現代は、さらにその可能性が広がっています。また、急速に変化しているお客様の味覚にも応えねばなりません」―そのアイデアはどこから生まれるのですか?
「商品開発などの部署がありますが、実は毎年、全社員に向けて、翌年の干支と宮中歌会始のお題にちなんだ菓子のアイデアを公募しています。多い年は千点を超す応募があり、審査を勝ち抜いた菓子が新年に販売されるのですが、そこで使われなかったアイデアが別のところで生きることも多々あります」
──いい企画ですね。
「良い菓子のためにできるだけのことをする、という思考からです。商品開発とは別の話ですが、白小豆は今まで1袋30`入りのものだけだったのですが、力のない人でも扱いやすいように15`袋も作っていただき、女性をはじめ皆の働きやすさが向上しました。これなども同じ考え方から出たアイデアです」


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赤坂店3階にある虎屋菓寮。
吉野産ヒノキをふんだんに使った空間が窓の外の赤坂御用地の緑とゆるやかにつながっている。
あんみつなどの甘味のほか食事メニューも。
 
 
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とらやの生菓子から羊羹製「手折桜」(左)と、きんとん製「遠桜」(右)。

菓子がすべての中心に

──昨春、御殿場でフレンチレストランを始められました。
「おかげさまで順調で、とらやとして新しいことができたという達成感もあります。
 ただ、これでレストラン事業をさらに展開していこうという考えはありません。料理を監修してもらっている小林圭シェフと、餡を使った菓子作りがしたいという想いが形になったのがあの店なのです。フランス料理と和菓子の出合いが創り出すものを、この先、見つめていきたいと思っています」
──すべてはお菓子のために。
「はい。菓子はすべての中心です。菓子によって私も社員も生活が成り立っていますし、生産者様、お客様、社会とのつながりも菓子から生まれています。
 だからこそ菓子を磨きたい。磨くほど、自分も他も良くなる。とらやの菓子を中心に、みんなに喜びや幸せが届くといいなと思っています」(了)

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〈とらやの想い〉

なによりも品質優先。
おいしい菓子のために
最大限の努力を
続けています。




とらや(赤坂店)

東京都港区赤坂4−9−22
TEL :03 -3408-2331



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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。