菓子街道を歩く

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三原堂本店東京の下町の心意気

 水天宮。文政元年(1818)、久留米藩主・有馬頼徳が、国元で信奉している水天宮を江戸藩邸内に分祀したのが始まり。毎月5日に限って一般の人々にも参拝を許すと、「なさけありまの水天宮」という洒落が流行語になった。明治に入り、青山を経て明治5年(1872)に現在地に遷座した。


東京の粋な下町

 東京都中央区日本橋人形町。ハレの街・日本橋から地下鉄でひと駅、人形町駅で降りると、気取らぬ下町の景色が広がっている。
 人形町は、江戸時代には芝居小屋が集まる江戸随一の歓楽街として栄え、その後も都心の商業地であるとともに、賑やかな商店街、そしてグルメの街として発展してきた。今も週末になると、下町情緒を味わいに多くの人が街歩きにやってくる。
 なかでも、子授けや安産の神様として知られる水天宮は定番の撮影スポットだ。九州の久留米藩・有馬家の私社を江戸後期に9代藩主が江戸屋敷に分祀したのが始まりだが、ご利益にあやかろうと屋敷の外から賽銭が投げ込まれるようになったため、毎月5日に限って門を開け、一般の参拝を許したという。
 その毎月5日以外に参拝に訪れた人々のために、水天宮に代わって「御守」を分けていたという逸話が残る和菓子店・三原堂本店が、水天宮前の交差点の角で繁盛を続けている。
 ひっきりなしにお客様が入っていく暖簾をくぐって2022年に5代目を継いだ三原田宗子さんを訪ねた。

三原田宗子

「三原堂本店」社長、三原田宗子さん。1952年福井県若狭生まれ。

若狭とのご縁

——創業は明治10年(1877)だそうですね。
三原田 「はい。初代は福井県の若狭の人で、三原田宗元と申します。その娘のタケと夫が2代目・3代目。4代目が先代で私の夫の三原田敏です。敏が亡くなりまして私が跡を継いだわけですが、実は私は宗元の生家の娘なんです」

——すると、若狭から嫁いでこられたのですか。
「ええ。四姉妹だったのですが、タケさんの希望もあって私がご縁をいただいて結婚することになりました。
 当時、私は地元の大学を出て中学校の教師をしていたんです。教職免許は理科で取得したのですが、地方の学校は教師不足ですので数学なども教えていました」

——理系でしたか! 教職は続けられたのですか。
「仕事を続けるなんてとんでもないと最初から言われました。当時は結婚退職が当たり前の時代でしたから」

——では、専業主婦として家を切り盛りしながら、やがてお店のお手伝いも?
「子どもたちが小学校に入った頃から週に2度ほど店に立つようになりました。そういう日がだんだん増えていったという感じです」

——それだけお店が繁盛されていたということですね。
「義母のタケがとても明るくしっかりした性格の人で、戦中戦後の大変な時代も含めて、店をよく盛り立てていました。
 面倒見もよくて、年に一、二度は暖簾分けした店のご家族も一緒に旅行したり、ご飯を食べたり……。三原堂会と呼んでいるんですが、今も仲良くしています」

——暖簾分けしたお店も「三原堂」の店名で、それぞれご繁盛のようですね。

ベストセラーは塩せんべい

——ところで今、三原堂で一番の人気商品は何ですか?
「塩せんべいです。昭和50年頃から仕入れて売っていたのですが、平成になって茨城県小美玉市に工場を建てたのをきっかけに、夫と番頭さんが試作を繰り返して今の塩せんべいを作りました。まろやかな塩味にしたいと、ドイツ産の岩塩と伯方の塩の2種類を使ったりして」

——味も歯ごたえも特長があっておいしいですね。
「この塩せんべいに御守最中や日本橋めぐりなどの甘い和菓子を詰め合わせると、これがまた好評なんです。
 御守最中は、水天宮さんとのご縁で生まれた創業当時からの菓子。お宮参りや安産祈願に来られたお客様がよく買っていかれます。
 日本橋めぐりは、日本橋の町名を菓銘にした饅頭で、蛎殻町は粒餡入りの東饅頭、室町は栗饅頭というように5つの違った味が楽しめます」

——塩せんべいがあることで、甘辛両方を自在に組み合わせたセットができるのですね。ビジネスマンのお客様の姿が多い理由もわかりました。

塩せんべい

「塩せんべい」。厳選したうるち米を、つぶつぶ感を残して薄くのばし、醤油と2種類の塩でじっくり焼き上げている。

普段着の菓子屋

 「三原堂は、代表銘菓一本でやっている菓子屋ではありませんので、いろいろな菓子を作っています。
 朝は、8時くらいから店頭でどら焼を焼き始めます。すると、甘い匂いがお客様を連れてきてくれるんです(笑)。
 うちのどら焼は、生地に醤油を入れているのが特徴で、口に入れると、ほのかに醤油の香りが広がります。
 えりも小豆を使った粒餡と漉し餡を軸に、さくら餡やレモン餡など季節ごとの餡も4種。戌の日には、狛犬の焼き印を押したどら焼も販売しています。
 ほかにも、春の桜餅、夏の水羊羹、1年を通して人気のある豆大福やみたらしだんごなどの普段づかいのお菓子がいろいろ。
 大福は毎朝、もち米を搗いて作っていますので、翌日には硬くなるんです。若い方のなかには大福が硬くなることを知らない方もおられるそうですが、三原堂ではこれからも硬くなる本物の餅菓子を作っていきたいと思っています」

——さらに上生菓子や洋菓子も。多彩な品揃えですね。
 「観光のお客様にもご来店いただいていますが、なんといってもうちのメインは地元のお客様です。社用のお客様も含めて日々来てくださる地元の方々に『三原堂』『三原堂』と言っていただかなきゃなりませんから」

——この先はどんな店にしていきたいとお考えですか。
「10年先、20年先が予測できない時代ですが、今のこの感じでやっていければいいんじゃないかなと考えています。そして、次の世代につなげていきたいと。せっかく百何十年も続いてきたのですから。  ここ人形町には、歴史のあるいい店がたくさんありますでしょう? 三原堂も、そうした一軒として続けていけたらと思っています」(了)

「どら焼」。あっさりした甘さの餡と醤油入りのしっとりした皮が人気。

「豆大福」。搗きたての餅のおいしさが味わえる。

「御守最中」。水天宮とのご縁のなかから生まれた創業以来の銘菓。

三原堂本店

東京都中央区日本橋人形町1−14−10
TEL :03(3666)3333
http://www.miharado-honten.co.jp/

三原堂本店

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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。