北斎の「冨嶽三十六景」にたとえては恐れ多いが、「菓子のある風景」も連載36回を数えた。分野にこだわらず、できるだけ著名な画家の作品を、ということで選んできたが、あらためて内訳を振り返ってみると、やはり童画家の絵、ないしは童画風の作品が多く、全体の3分の1近くを占めている。その第1号が、武井武雄の「猫と鼠」だった。
武井武雄はたいへんなお菓子好きだったようである。全国の銘菓を食べるのが楽しみで、旅のみやげに買ったり贈りものにもらったりすると、いちいちお菓子とパッケージをスケッチした。スケッチを見せてもらったことがあったが、写実的にざっと描いて彩色したもので、あとで武井武雄風に美しく仕上げるための手控えのように見えた。それにしても、あれだけ忙しかった画家が覚え描きの手間を惜しまなかったのは、よほどのことである。
このスケッチは、戦後の菓子資料の一つとして貴重なものではないかと思う。
武井武雄のあと、童画風の絵としては竹久夢二、茂田井武、いわさきちひろ、村山知義、川上澄生、横井弘三、初山滋、亀高文子、谷内六郎らが登場した。
絵の勉強を始めるとき、将来童画を描こうと考える画家はまずいない。生活のためにアルバイトで手を染めるのだが、いつしか居心地がよくなったり、天職と考える人も出てくるのである。だが、忘れてはならないのは、どういう絵を描いていても、よい画家は画家の魂をもっていることだ。
動物たちが宵祭りのにぎわいを繰り広げる茂田井武の「こんやはよみや」、小笠原諸島へのスケッチ旅行で見た砂糖搾り用の万力を、真ん中にデンと据えた横井弘三の「おかしの運動会」などは、数ある童画のなかでも、なにか画家の魂が噴き出しているような傑作であった。
戦前の前衛芸術家として知られた村山知義の子ども向けの絵も、今もってモダンな魅力を持ち続けている。
その村山の絵について書いた時、子どもたちが楽隊つきで運ぶ巨大なケーキを、「ドイツででも目にしたものだろうか」と書いた。だが、その後、どうもこれはイタリアのズコットというケーキらしいということがわかってきた。ズコットとは「聖職者のかぶり物」という意味だそうだが、村山のケーキはまさにそういう形をしている。訂正してお詫び。
回 | 作品名 | 作家名 |
1 | かぎやおせん | 一筆斎文調 |
2 | 猫と鼠 | 武井武雄 |
3 | 対柳居画譜 | 柴田是真 |
4 | チョコレートとお茶のフランス商会 | スランタン |
5 | 世安町の駄菓子屋 | 守屋多々志 |
6 | 明治風俗十二ヶ月氷店(八月) | 鏑木清方 |
7 | 饅頭 | 安井曾太郎 |
8 | ちいさいおきゃくさま | 竹久夢二 |
9 | 櫻餅 | 堀 文子 |
10 | 菓子パン | 正岡子規 |
11 | チャイルド洋食店 | 清水登之 |
12 | 巴里の焼栗 | 中村不折 |
13 | えっ、木の葉に見えちゃう? | 馬場のぼる |
14 | 十二月ノ内 水無月土用干 | 三代歌川豊国 |
15 | こんやはよみや | 茂田井 武 |
16 | 静物 | 中川紀元 |
17 | 誕生日 | レオナール・フジタ(藤田嗣治) |
18 | レニングラードアイスクリームや | いわさきちひろ |
19 | スケッチ帖より | 坪内節太郎 |
20 | 冬日 | 望月春江 |
21 | おかざりお菓子 | 村山知義 |
22 | 赤いアイスクリーム | ハンス・ノイマン |
23 | おかしの運動会 | 横井弘三 |
24 | 柏崎三階節 | 川上澄生 |
25 | 太平喜餅酒多多買 | 歌川広重 |
26 | いちご 菜果五題の内 | 岸田劉生 |
27 | ビスケット | 香月泰男 |
28 | 伸餅 | 熊谷守一 |
29 | 赤ずきん | 不詳 |
30 | 四季遊戯図 | 円山応挙 |
31 | くりやき | 初山滋 |
32 | びくにはし雪中 | 歌川広重 |
33 | 青い鳥 | 亀高文子 |
34 | 顔 | 猪熊弦一郎 |
35 | 遊楽図屏風 | 作者不詳 |
36 | ポップコーン咲いちゃったよ | 谷内六郎 |
洋画家の作品も9点と多い。安井曾太郎が最初で、清水登之、中村不折、中川紀元、藤田嗣治、岸田劉生、香月泰男、熊谷守一、猪熊弦一郎と大家ぞろいで、堂々たる顔ぶれだ。
これらの画家の得意の画題を思い浮かべて、まずお菓子は浮かんでこない。とりわけ猪熊弦一郎などは抽象絵画に近い画風である。
安井曾太郎の柚子饅頭、中川紀元のロールケーキ、香月泰男のビスケット、熊谷守一の伸餅、猪熊弦一郎のバナナ、いずれも、この画家がこういうものを描いているのかと驚くような作品に次々に出会うことができた。
つまり、「菓子のある風景」という視点から見たからこそ、洋画家たちの隠れた一面が見えてきたのである。
安井曾太郎の「饅頭」は、雑誌の表紙絵であったために、制作のいきさつまで画家自身によって書き残されている。料亭のみやげでもらってきた柚子饅頭を描くにあたり、夫人が「緋毛氈の上に置くと綺麗でしょ」と言ったということなど、そのときの夫人の顔つきまで浮かんでくるようで、思わず微笑をさそわれる逸話だ。
画家が静物画を描くとき、同じ果物を描くのでも、おいしそうに、いかにも食べられそうに描く画家と、そうでない画家がいるような気がする。岸田劉生は、私の感覚では食べられそうに描く画家だ。その意味で、劉生の「いちご」は「菓子のある風景」にぴったりだったと思う。
藤田嗣治の「誕生日」が、国内の美術館にあったのも、幸運だった。藤田といえば女と猫で、なぜ子どもの絵が多いのか、ということなど考えてもみなかった。筆者は、それが、藤田がパリの昔話の挿絵を依頼されたことに始まる、ということを初めて知った。
近代の日本画の大家の登場は、柴田是真を入れても、守屋多々志、鏑木清方、堀文子、望月春江と、洋画に比べると少なかった。ただ、少ない割に印象が強いのは、伝統的に季節感が豊かであるという点で、日本画が際立っているからであろう。
鏑木清方の清々しい美人がかき氷をつくる「氷店」、望月春江の朱塗りの盆の上に干し柿がのる「冬日」のような絵には、洋画にはない、日本画ならではの季節のなつかしさがあった。
著名な日本画家の作品には、まだお菓子を描いた絵が数多くある。今後、追々登場することになりそうだ。
「菓子のある風景」の連載第1回は、一筆斎文調の「かぎやおせん」である。かねて惚れ込んでいたために、この絵を用いたが、浮世絵はできるだけ絞ってというのが初めからの方針であった。安易に多用すると、浮世絵資料の連載のような印象になりかねないからである。その意味では厳選して、広重を2回と三代豊国を1度扱った。
浮世絵では、広重の「太平喜餅酒多多買」が、遊び絵として出色であった。この画家の名所絵などとはかけ離れた作風で、画面にいたずら心がはじけている。花や魚の絵もうまかった広重。一つの芸しかできないようでは、一流の浮世絵師にはなれなかったということか。
たまには浮世絵系以外の江戸時代の絵を、ということで取り上げたもののなかでは、円山応挙の「四季遊戯図」は忘れがたい作品の一つになった。四条河原の夕涼みを描いた絵だが、そこではたしかに現代とは別の雰囲気が人間を包んでおり、そのなかに飴屋もいる。
さて、最後に変わり種にふれて締めくくることにしよう。正岡子規。病人にして、偉大な駄々っ子。この天才が菓子パンを描いてくれていたおかげで、明治のパン屋さんが太鼓を叩いて売り歩いていたということを知り、書くことができた。
エッセイスト、俳人。1944年、福島県生まれ。美術雑誌『求美』、読売新聞出版局などの編集者を経てフリーランスに。著書に『NHK世界美術館紀行』全10巻(共同執筆,日本放送出版協会,2005)、『描かれた食卓』(NHK生活人新書,2007)、『江戸俳画紀行』(中公新書,2008)。『あじわい』誌での連載「菓子のある風景」は、版形もあらたにリニューアルした1999年の春号(124号)から始まった。