そばは生粋の日本の食品のように思われがちですが、じつは中央アジアの東部の原産で、そこから世界各地に伝えられ、栽培されてきました。
日本へは奈良時代には伝わっていたらしく、養老6年(722)の夏、雨が降らず大飢饉になった時、ときの元正女帝がソバを植えることと貯蔵しておくことを命じた詔令を出していることから、救荒植物として重んじられていたことがわかります。ソバは低温に強く、また痩せた土地で育つだけでなく、成長・結実がはやいので、夏になって凶作と判断されてから植えても間に合うのです。
ソバは米や麦類などの穀類(イネ科)と違って、タデ科の草です。しかし、食べ物としては麦の一種と考えられていたらしく、「そば」という名も、実が三角形で角(稜線)があるので「稜麦(そばムギ)」と呼ばれていたのがつまって「そば」になったといわれています。そういえば中国語で「蕎麦」、英語では「buckwheat (鹿麦)」、フランス語では「ブレ・ノアール(黒麦)」と、名前も麦からの連想が多いようです。
そばは、初めは粒(そば米)のまま煮て「そば粥」にしたり、米と混ぜて炊いて「そば飯」にしたり、粉に挽いて熱湯でこねて「そばがき」にしたり、水でこねて蒸して「そば団子」「そば餅」にしたりして食べられていました。それが、やがてうどんのように細くして食べる「そば切り」が一般的になりました。当初は地域的な食べ物だったようですが、そばの香りや歯ざわりに一種の「粋」を感じた江戸っ子たちに好まれ、広がったのです。
今も東京ではそば屋が〈そば、うどん〉を供し、大阪ではうどん屋が〈うどん、そば〉を供する、と話題になります。
現在、そばは主に麺類として楽しまれるほか、そば饅頭、そば落雁、そばほうる、そば板(せんべい)などの和菓子にも使われています。西洋でもクレープやガレット(パンケーキ)などのそば粉を使ったお菓子が知られています。
ソバは根が茶色、茎が赤く、葉が緑、花は白く、実は黒色であるものが主なので、「そばは五色」などともいわれます。満開の純白のソバの花は美しく、芭蕉の「蕎麦はまだ花でもてなす山家かな」は、新そばにありつけなかった無念の思いも込めて、俳聖の実感だったのでしょう。
食文化研究者。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授を歴任。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)『、食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。