お菓子の素 よもやま噺

ホーム > お菓子の素 よもやま噺(その九)No.166 栗

栗

ころんと丸い形に、先っぽのとんがり。
一方、イガは攻撃的で、渋皮の頑固さも普通じゃありません。
かわいい、おいしい、痛い、頑固。不思議な木の実の王様です。

昔話の『さるかに合戦』で栗は、サルにだまされたカニの助太刀をして、火の上ではぜてサルを攻撃します。栗は勇ましい、勝利の木の実です。

イメージ  栗は温帯地方に広く生育しており、日本栗、中国栗、ヨーロッパ栗、アメリカ栗など十数種があります。
 日本の縄文時代は、穀物の栽培はほとんどなく、遺跡などの調査から主な食物はドングリ、栗、シイ、トチなどの木の実類だったことがわかっています。なかでも栗は、渋や苦味を抜くための「水さらし」などの前処理の必要がなく、大型のおいしい実をつけることから最も喜ばれた主食だったと思われます。粉にして練ってまとめ、パンのように焼いたものの遺物も見つかっているということです。
 日本の山野に自生していた栗は、「シバグリ」「ササグリ」と呼んで利用されていましたが、やがて栽培が始まりました。栗木、栗駒、栗沢、栗林、栗原、栗山など、栗のつく地名や姓が多いのは、栗が古くから人々に好まれていたことを物語っています。『播磨風土記』には、栗栖という地名について、仁徳天皇(5世紀前半に在位)から賜った、皮を削り取った栗の実を植えたら渋のない実がなったので、その村を栗栖と名づけたというおもしろい記事があります。
 「桃栗三年」というように、栗は芽生えてから比較的早く収穫できることもその利用に味方したことと思われます。飛鳥時代の持統天皇は栗の栽培を薦めました。また、『万葉集』には8世紀初めの歌人・山上憶良の有名な歌があります。

瓜食めば 子どもおもほゆ 栗食めば まして偲ばゆ
(瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとますます子どものことがしのばれてくる)

イメージ  その当時、栗が、愛らしい、子どもの好きな、そして子どもに似合う庶民的なナッツとして好まれていた様子が想像されます。
 栗は品種改良が進められ、産地名でも呼ばれるようになります。丹波栗(銀寄)は、大粒で美味な品種として知られ、『延喜式』(927)にその名が登場します。また加工も早くから行われ、平安時代(794〜1185年頃)には、干し栗、搗栗(栗を皮のまま干してから搗いて殻と渋皮を除いたもの)、煎り栗などが工夫されました。
 武田信玄は、栗を火であぶって保存することを教え、糧食としたと伝えられています。搗栗は「勝栗」に通じるとして戦いの宴に欠かせぬものとなりました。昔話の『さるかに合戦』で栗は、サルにだまされたカニの助太刀をして、火の上ではぜてサルを攻撃します。栗は勇ましい、勝利の木の実です。

イメージ  栗の独特の香りと甘さは、お菓子としても好ましいので、茹で栗、甘煮、栗きんとん、栗餡、栗羊羹などのほか様々な菓子に、多くは高級なものとして使われており、菓子の世界のなかで特異な地位を占めています。ヨーロッパでも古くから栽培され、フランスのマロングラッセが有名です。一方、中国産の甘栗(天津栗)は小粒ですが甘みが強く、渋皮がむきやすいので焼き栗として好まれています。
 栗はエネルギー(カロリー)に富むほか、ビタミンA・B1、B2、Cなどが大変多く、栄養的にも優れているといえます。栗の菓子や料理への用途は、今後も多彩に広がり続けることでしょう。

大塚 滋 Otsuka Shigeru

食文化研究者。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授を歴任。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)、『食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。