お菓子の素 よもやま噺

ホーム > お菓子の素 よもやま噺(その十)No.167 大豆

大豆

「鬼は〜外」「福は〜内」。2月に行われる節分は春を迎える前に、邪気を追い払う行事です。
日本中の家々から、鬼が退散! 今年もよい年になりますように。

「福は内」と「鬼は外」は、もともと、異なる“祈り”の行事でした。

イメージ 「鬼は外、福は内」。子どもの掛け声と豆の散らばる音、大急ぎで閉められる戸口、紙の鬼の面をつけて逃げまわるお父さん、年の数だけ豆を拾ってまわる子どもたち。神社やお寺の節分祭りでは、年男の有名人が豆をまき、争って拾う人々の姿と歓声……節分の豆まきの風景は、ほかの古い習俗が少しずつすたれていく日本で、頑強に残っているものの一つです。
 豆まきはもともと新年を迎えるに当たって訪れる年神を迎えるための一種のお供物だったようです。なぜ豆を使うかについては、かつての「散米」(米をまいて精霊を供応する神事)の変形かといわれています。大豆は小さく堅いので、鬼を払う風俗に変わったのでしょうか。
 平安時代には「追儺」あるいは「鬼やらい」といって、大晦日に悪鬼を追い払う行事があり、それが江戸時代に節分の行事として復活したものともいわれています。だから「福は内」と「鬼は外」はもとは異なった行事で、後に合体して今のようになったといえるかもしれません。
 かつては、ただ「豆」といえば大豆のことでした。その大豆が年の変わり目に重要な役割を担ってきたのです。節分にはほかにもいろいろな習俗が見られますが、豆まきは最も古くから、最も広く現代まで残り、親しまれているといえます。

イメージ 大豆は小豆と並んで中国の原産で、日本へやってきた時期についてははっきりしていませんが、弥生時代(ほぼ紀元前4世紀から紀元3世紀)のいくつかの遺跡で見つかっているので、今から2千年前頃には作物として栽培されていたと考えられます。
 日本の神話では、ある女神の体から稲、粟、小豆、麦などとともに大豆が生まれたとされています。大豆は優れた栄養を持つ豆なので、太古から重要視されていたことがわかります。
 日常の食品としては、豆乳や豆腐、油揚げ類、ゆば、大豆油などや、納豆や浜納豆(大徳寺納豆)といった発酵食品が親しまれてきました。そして、味噌、醤油などの発酵調味料は日本料理の味と香りの基礎となっています。また、香川県の醤油豆や福井県の打ち豆、さらに煮豆や五目豆(野菜との含め煮)などの家庭料理が日常の食卓を楽しくしています。
 さらに大豆は菓子の材料としても重要で、郷土菓子が多いのが特徴といえます。ことに黄な粉は香ばしさが好まれ、安倍川餅,葛餅、団子などにつけるほか、種々の落雁が工夫されて、楽しまれています。
 また、糖衣菓子も多く、五色豆(京都)や政岡豆(仙台)、三島豆(高山、富山)などがあり、吉原殿中(あられの黄な粉まぶし。水戸)、ゆたかおこし(水あめで練った黄な粉をはさんだおこし。豊橋)、けんけら(あら挽きした大豆をゴマと合わせて飴で固めたねじ棒。大野)、洲浜(京都)などのさまざまなお菓子が工夫されて、郷土の味となっています。

大塚 滋 Otsuka Shigeru

食文化研究者。大阪大学理学部化学科卒業、理学博士。ウスター実験生物学研究所(米・マサチューセッツ州)研究員、武庫川女子大学教授、同大学大学院教授を歴任。著書に『味の文化史』(朝日新聞社)、『食の文化史』(中央公論新社)、『パンと麺と日本人』(集英社)、『世界の食文化』(共編/農山漁村文化協会)ほか多数。